平成29年2月 海徳寺 寺報

忘持経事

あまりの嬉しさ・・・

この御遺文は、日蓮聖人が富木常忍公に宛てた手紙の一文です。現在の市川市中山に住んでいた富木公は、母の遺骨を抱いて、遠路遥々山梨県身延山の日蓮聖人のもとへ埋葬しに行きました。その帰りに富木公は、自身の大切なお経本を忘れてしまいます。 日蓮聖人は、大切なお経本を忘れたことを叱責しながらも、富木公がお経本を忘れたのは、きっと母親の仏事が無事終わり、母が成仏したことのあまりの嬉しさからであろうと、富木公にこのお言葉を示されました。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

最近の法要・葬儀の際に、今月の聖語で取り上げたこの『忘持経事』を読むようになったのは、二年前に母親を亡くしてからです。

「歓喜身に余り心の苦忽ち息む」の後に、「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり」という言葉が続きます。

母が亡くなって二年経ち、今でも色々なことを思い巡らしますが、この日蓮聖人の言葉を口にすると、自ずと心が落ち着きます。

先日、実家のお寺で年始の祈祷会が行われました。久しぶりに家族がお寺に集まり、参拝された方々とともに会食をしていると、小鳥がお寺の中に迷い込んでしまいました。

子供達も大騒ぎして何とか外に逃げてもらおうとしましたが、なかなか外に出ていきません。

すると妹から、「ひょっとしたら迷い込んだ小鳥は母親かもしれない。お母さんの読んだ俳句に『ままごとの家留守かしら小鳥来る』という句があり、庫裏に誰もいなかったから、皆がいる本堂の方まで探しに来たのかな」と。

小鳥が迷い込んだのは偶然かもしれませんが、そんな偶然でも、どこかで亡き母親を探し、母と重ね合わせ、そして心が和んだそんな出来事でした。

(海徳寺住職・加藤智章)

平成29年2月 海徳寺 寺報

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