霊山浄土への導き

人生最後を迎える時、最も不安なのは「死後自分はどうなるのか」ではないでしょうか。  その時「霊山浄土へ来られたなら、その入り口である北東の方角の渡り口で日蓮をお呼びなされ。必ずそこでお待ちしておるから」

このように明確に行き先が示されたなら、どんなに大きな安らぎが得られることでしょう。ただ信じて懐へ飛び込んで行けばよいのです。

「死に様は生き様」。安心して人生の最後を迎える確信を得ることは、いい生き方につながるのではないでしょうか。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

先日、車にて東京の桐ヶ谷斎場へと葬儀に向かっている時のことです。高速道路の入り口まで四キロとなったあたりで、いつものように渋滞に巻き込まれました。なかなか前へ進まなくなると、スマホから「より早い経路が見つかりました」との音声案内が。その案内は、まっすぐ進めば四キロのところを、十五キロも「コの字」型に迂回していくルートを指示していました。このまま渋滞していれば葬儀に間に合わなくなると思い、半信半疑にてその迂回路に進んでみると、一転して車は流れ、思いの外早く高速道路に乗ることができました。

しかし、高速道路に乗るや否や、今度はスマホからすぐに高速道路を降りろとの指示が。何かの間違いかと思い、案内を無視して進んでいると、今度は高速道路が大渋滞。先程のスマホの指示に従っていればと思っても後の祭りです。

そんな時にふと日蓮聖人の「この法華経は三途の川にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥土にては灯火となり、霊山へ参る橋なり。霊山にましまして艮の廊にて尋ねさせ給え。必ず待ち奉るべく候」のお言葉が頭に浮かびました。このお言葉は、臨終に際し不安を抱いている信者の方へのお手紙の一節です。法華経を信じ、お題目を受持すれば、何も心配なく霊山浄土へと赴くことができるのです。

もうすぐお盆です。先祖が道に迷われないよう、お題目をお唱えしお迎え下さい。

(海徳寺住職・加藤智章)

令和元年8月 海徳寺 寺報

報恩道語表紙(令和元年8月号)1
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