令和3年4月 海徳寺 寺報

令和3年4月 海徳寺 寺報

仏の智・仏の徳

この聖語は、日蓮聖人が身延山の信行の毎日から、それまでの法門をまとめられた『撰時抄』の一節です。

仏眼とは釈尊の智慧のことです。仏日とは釈尊の徳のことです。
釈尊の智恵を借りて「その時」「その人」を考え、釈尊の徳を用いて一切を照らし、一切の闇を除き、真の姿を浮かびあがらせようとする聖人の祈りです。

私たちは、科学のお陰で、便利で豊かな生活を手に入れました。しかし、幸せと感じている人は驚くほど少ないのです。それは科学が、それ以外を犠牲にしてきたからです。

科学が模索したものは、周囲の安堵ではなかったのかもしれません。今こそ、聖人の信仰が必要です。信仰は人生に意味を与え、便利で豊かな生活を、幸せに導くものです。どんなところにも聖人の祈りは届きます。

どんなところでも尋ねて行かれます。
どんなときも聖人は、私たちとともに唱題して下さっています。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

新年度となり、ようやく緊急事態宣言も解除となりました。
しかし、未だ新型コロナウイルス感染症の猛威は続いています。
延期されていたオリンピックも開催予定となっています。
未知のウイルスと言われた新型コロナウイルスも徐々に解明されてきています。

仏眼とは仏様の智慧であり、仏様の物の見方、ものさしです。
私達は煩悩により迷う凡夫です。ついつい肉眼(凡夫の物の見方や捉え方)で見てしまいがちです。
そのせいで時には人を傷つけたり過ちを犯したりします。

冷静になり、仏様ならどう見るだろう。どう言うだろう。どう感じるだろう。と、考えてみてください。

その時に必要になるのが仏様の教えである妙法蓮華経であり、その結晶でありエッセンスであるお題目です。

人の幸せとは何か。豊かさとは何か。
世界全体、社会全体の幸せが一人一人の幸せにつながります。

今こそ仏眼をもって考え、仏日によって真のあり方を目指し、
仏様の南無妙法蓮華経をお唱えしましょう。

(海徳寺山務員・山田甲希)

令和3年4月 海徳寺 寺報