令和4年2月 海徳寺 寺報

先、臨終のことを習うて後に他事を習うべし

喫緊(きっきん)の課題(かだい)

出家の道へと日蓮聖人をいざなった動機はいくつか知られる。

その主要で決定的であったのは無常観であり、人生無常苦・死の超克の問題であった。 死は人生苦の集約であり、争乱にあけくれる中世のただ中に生きられた、そのことを日々に実感されたのである。

そこから臨終の大事を解決することが何にも勝る優先課題、先決問題である、と思い定められた。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

コロナ禍に陥り二年、昨年は何故か、若い方、同世代の方の葬儀が多く、 葬儀を終えるごとにいつも思うことがあります。

「なんか世の中おかしいなぁと」。  

東京女子大学の広瀬弘忠教授の研究によりますと、 もともと人間は様々の変化に一つ一つ敏感に反応することで、 神経が疲れ果ててしまうことを防ぐため、過敏に反応しないように、 予期しない危険に対しては、有る程度鈍感にできているそうです。

さらに、「平和」で「安全」な暮らしに浸って生きている現代人は、 危険を「危険」と感知する能力が衰え、危険が迫っていても、 「まだ大丈夫だ」「たいしたことはないだろう」と思い込む心理が働きます。  

この心理を「正常性バイアス」といい、その心理が災害時に働いてしまったために、 危険に対して迅速に行動することができず、命を落としてしまうと言うケースが少なくありません。

臨終は誰にでもいつか起こる定めなき習いであります、 臨終の事を恐れるがあまり、なかなか真実に気づけないのが私たちでございます。

人間は考える葦とはよく言ったものでありますが、このコロナ禍、 一度頭をリセットされて、冷静に一つ一つを考え直してみてください。 そして世の中を達観してみていくとどう生きるべきなのかが見えてくるかもしれません。

(海徳寺山務員・本多経宏)