日蓮聖人は確信犯?
現世安穏の証文 疑いあるべからざるものなり
日蓮聖人御遺文 『如説修行抄』
日蓮聖人が説かれる「現世安穏」とは、決して苦がないことではありません。苦楽は表裏一体不二のもの。とするならば、苦の中にこそ真の喜びを見出すことが仏様の教えの真髄なのです。
「らく(楽)」という言葉を見て下さい。「ら」の下には「く(苦)」がついているではありませんか。
『如説修行抄』という御遺文は、日々苦悩の中で生きる私たちに対する日蓮聖人からの激励のお言葉が込められております。
出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』平成二十八年十一月号を加筆修正
「確信犯」という言葉は、「小春日和」とともにかなりの方が間違えて認識している日本語の一つだそうです。一般的には、「それをすると問題が起きるとわかっていながら狙ってやった言動」というように認識されています。しかし、本来の意味は、「道徳的・宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪」です。
「日蓮聖人は確信犯?」という今月のタイトルは、正しい表現ではありません。なぜなら、日蓮聖人は決して犯罪を犯していないからです。日蓮聖人は犯罪をしていないにも関わらず、他宗を強烈に批判したという理由から、流罪になり首を斬られそうになる等、数多くの迫害に見舞われました。その背景には、間違った教えを信じている人々を何とか救いたいという一心で行動されたことがあります。日蓮聖人の歩まれた道を鑑みますと、語弊はありますが本来の意味である「確信犯」に合致するものと思い、今月のタイトルにいたしました。
先月二十三日に海徳寺において、日蓮聖人の第七百三十五遠忌法要を行いました。本法要を通じ、自らの身命を顧みず法華経弘通に御生涯を捧げた日蓮聖人の偉大さを改めて感じるとともに、皆様の生活が安穏となることを心よりご祈念いたしました。
(海徳寺住職・加藤智章)