お釈迦様が会いたくなかった人?
花と言えば桜。日本人に最も親しまれ、愛される花と言っても過言ではないでしょう。
ところが冬、寒風にさらされ葉を落としぽつんと立つ桜の木の姿を見ると、春あのほんのりと柔らかい花が咲くとは想像し難いものがあります。まさに春という季節の縁を得て木の中に宿っていた芽が吹き出すのです。
それと同様にごつごつとした私たちの心の中にも、桜の花のような優しい仏の芽が宿っています。だからこそ仏さまの教えに触れて心の花を咲かせようではありませんか。
出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』
煩悩の数が一〇八であることはよく知られています。その数の根拠が四苦八苦、すなわち、四×九(苦)=三十六と八×九(苦)=七十二の合計であるという説もご存知の方も多いものと思います。
では具体的に四苦八苦をあげてみてくださいと聞かれて、全てを答えることができる方はいるでしょうか。「生老病死」の根源的な四つの苦に加えて、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを合わせて八苦となります。
このなかで、私自身一つだけ違和感がある苦があります。それが「怨憎会苦」です。愛する人と別れることが苦である「愛別離苦」は誰もが経験したことがあるはずです。また、欲しいものを求めても得ることができない「求不得苦」や、心身のバランスが取れない「五蘊盛苦」という苦もなんとなくわかります。
しかしながら、「怨憎会苦」という怨み・憎しみを抱く人に会うことが苦であるという考えは異質な感じがいたします。なぜなら、完全無欠な悟りを開いたお釈迦様であっても、会いたくない人がいたというのは実に生々しく人間らしいからです。そこが仏教のおもしろい点であり、時にどんな人と会いたくなかったのかな等を想像すると、お釈迦様がより身近に感じます。そして、仏教思想の奥深さを改めて感じております。
(海徳寺住職・加藤智章)