私が小学生くらいの時だったと思います。
宇野重吉演ずる「ふるさと」という映画のワンシーンを今でも鮮明に覚えています。
ストーリーまでは詳しく覚えていませんが(;’∀’)
その内容は、まだらボケをしていく老人を、プレハブの中に鍵を閉めて閉じ込めて行ってしまう家族でした。
それを見た私は、「育ててくれた親に対して、。酷い仕打ちをするバチあたりな子供達だなぁ」と思って当時は見ておりました。
最近では私の父もボケる様な時が有る様で、周りの人は手を焼いております。
現実に親がそうなってくると、プレハブの中に閉じ込めるのも致し方ないのかなと思ってしまう事もあります。
小学生の頃の純粋な気持ちは、大人になるに連れてドンドンと汚れ、理想を諦めるようになってまいります。
しかし、どんなに大変でも私は父の面倒がどんなに大変でも、出来る限り見てあげたいと思っています。
信仰というものもこれと似たようなところが有るように私は感じます。
幼い時には、誰もが幸せになりたい、誰もが穏やかに平和な世界を築きたいとお考えになっている事と思います。
しかし、大人になるにつれて、誰もが願った、幸せな生活や穏やかな生活を様々な欲望に負け、困難なことが有ると、妥協ということ諦めで納得してしまうようになってしまいます。
誰しもが、幼い頃の純粋な気持ちで物事に忖度せずに平和を望めるように、努力・精進して行くことこそが仏教の根本であると思って居ります。
困難なことが有っても退せずです。