ここ最近、水子のご供養をという事で、水子さまのご法要が増えてきました。
色々な条件のもと、この世に生(せい)を受ける事の出来なかったお子さんで有ります。
その様なお子さんの魂が、水子さんであります。
ご自身の身内が亡くなった時には、人の死というものを実感することが出来ますが、まだ見たことのない水子さまに対しては、なかなか「死」というものを実感できない様であります。
この世に生(せい)を受けたかったはずの魂であります。
芽生えるはずの魂、芽生えたかったはずの魂であるからこそ、その想いを何処かに残していると私は思います。
私たちの生きる、この合理的な世の中では考えの及ばないことでしょう。
人は、見たことが有ると素直に信じる事が出来ますが、そうではないものにはなかなか信じることが出来ません。
私達生きている人間も、やり残したことが有れば強い念をこの世に残すように、
生(せい)受けられなかった魂は、それだけを悔やんで想いを残すことと思います。
そのような水子さん、懇ろに弔ってあげて頂きたいものです。(-“-)