物資豊富なこの日本、最近では

貧乏や貧困=不幸=負け組てき発想をされるような方が多い様に感じます・・・”(-“”-)”なんか変ですね。。

この貧困というものは全て、それぞれの人の価値観が生み出すもでしかないと私は思っております。

これは植物の事になりますが、トマトの原産地である、アンデス山脈のトマトというものは、ほとんど水を与えず乾燥した気候の中で、地中や空気中から少しでも多くの水分を吸収する性質をみにつけたそうです。ですから、おいしいトマトを作るには水を必要以上あげないそうです。

また、えんどう豆なども太陽の光が、ほんのわずかしか当たらない所で育てる事により、光を求めてドンドン芽を伸ばし成長するそうです。その成長力は、太陽の光が充分にあたる場所で生長したものと比べると格段の差があるそうです。

戦中戦後生まれの方々のお話を聞けば、物も無く、食べる事さえ困難であった時代であったとお聞きいたします。しかし、その時は生きる事で精一杯で、貧乏だとか不幸だとか思ってることもなっかたそうです。

近年のわたくし達はどうでしょう?

ありとあらゆる便利な物が揃い、何不自由無い暮らしをしていますが、その豊かさの中で、何が自分に本当に必要なものを見失い、他人の生活を気にしすぎて、自らが貧困に陥っているように感じます。

自分がどの様な性格でどのような生き方をしたいのかを知れば、その生き方・考え方も、自ずと判ることでしょう。

仏教というものは、本当の自分を見つけるものだと思っております。

豊かさ溢れるほどの時代の中で、何が自分に必要なのかが判れば、どんで環境にあっても充実した心豊かな自分でいられるのではないでしょうか。

心豊かにするものが仏教の教えであるのではないでしょうか。

貧しいことが不幸なのではなく、己を知らないことが不幸なのではないでしょうか?