慈悲と合掌
慈悲とは、人として持たなければならない大切な心です。
その意味は、慈しみと哀れみです。それは、他者の苦しみを除き、楽しみを与えることであり、他者の幸せを祈る心のことです。
この心が薄くなれば、自己中心的になり、よこしまな考えに陥ります。このような人が増えれば、道理がとおらなくなり、社会は不安になります。社会が不安になれば、個人の幸せもありません。
出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』
昨年から続くコロナ禍、あいつぐ物資不足がテレビで取り上げられておりました。マスクや消毒用アルコールの買い占めが横行し、挙句の果てに転売されるなど「違法ではないので」と、ここぞとばかりにお金儲けの為に使われており、命を守る為に一番必要とされるものが市場から姿を消していき、非常に多くの国民から不満の声が上がりました。
「人の嫌がることを進んでする」?
この言葉を見て皆さんはどのように感じるでしょう。私がお師匠様に問いかけられた事のある言葉であります。
「日本の法律は、正しい道徳・倫理観があってこそ、はじめて機能するものであり、そこに邪な考えがあってはならない」と言われたことがありました。
先の言葉は、嫌がらせをするという事では勿論ありません、人がなかなか手を出してやらないことを率先してやりなさいという事であります。
しかし解釈の仕方によっては、どちらでも自分の都合の良い解釈の仕方が出来るでしょう。
このコロナ禍は、まだまだ続くものと思われ、今よりも経済が不安定になることは間違いありません。
この様な誰もが大変な世の中だからこそ、自分本位にならず行動していきたいものです。
(海徳寺山務員・本多経宏)
令和3年2月 海徳寺 寺報
