海徳寺について

昭和8年10月22日-海徳寺開堂供養

海徳寺の歴史

日蓮宗習志野海徳寺は、昭和7年4月28日に、山梨県身延町武井坊住職小松海浄上人修徒の伊藤海徳上人と津田沼生まれの伊藤ちせ法尼とが、七面堂を創建したことからその歴史が始まります。

伊藤海徳上人は、山梨県身延町大野玄妙庵の住職を兼ね、伊藤ちせ法尼とともに、身延七面山に籠もり、苦修錬行を7年重ねました。新寺建立の浄財を得るため、山形・北海等へと布教活動を行い、昭和7年に現在の津田沼の地に七面天女をお祀りする七面堂を建立いたしました。その七面堂が現在の海徳寺の前身となります。

昭和27年11月2日に七面堂から海徳寺へと寺号公称が認可され、現在に至ります。

海徳寺第一世 伊藤海徳上人 略歴

智行院日啓上人は、明治19年8月27日千葉県夷隅郡國吉村苅にて生れる。

大正3年、一念発起して身延山七面山に入山し、七ヵ年苦修錬行を重ねる。

大正12年身延山武井坊住職小松海浄上人に就いて得度。死身弘法の志し強く、山形地方に五ヵ年、昭和元年より北海道において七ヵ年、教線の拡張に精進する。

昭和七年四月二十八日、海徳寺第二世伊藤ちせ(慈心院日孝)法尼と共に、千葉県習志野市津田沼の地に七面堂を創建し、立正安国の大法宣布の基礎を確立する。

昭和10年8月、身延町大野玄妙庵の住職となる。

昭和12年玄妙庵住職の座を退き、昭和16年、山梨県西八代郡栄村玄立庵の住職となる。

昭和24年12月30日、世壽64歳にて遷化する。

上人亡き後の昭和27年11月2日、日蓮宗管長身延山法主大僧正深見日円猊下より、遺徳顕彰により表彰される。

海徳寺第二世 伊藤ちせ法尼略歴

海徳寺第二世伊藤ちせ(慈心院日孝)法尼は、明治16年10月16日千葉郡津田沼久々田に生まれ、大正3年4月、日蓮宗の信仰に入る。

以来、伊藤海徳上人と共に、宗風宣揚に努め、身延山七面山に篭もり、苦修錬行すること七年。伊藤海徳上人を援けつつ、山形・北海道と教線を拡張する。

昭和7年4月、現在の海徳寺(千葉県習志野市津田沼)の地に七面堂を創建する。

昭和27年11月2日、海徳寺の寺号公称が認可される。その際、伊藤海徳(智行院日啓)上人を加歴第一世として、第二世を伊藤ちせ法尼が継承することとなる。

昭和35年2月25日、78歳をもって遷化。

第三世 加藤錬明上人 略歴

参考 日蓮宗 松戸 本覚寺加藤雲洞上人書道ギャラリー
加藤錬明上人の略歴は、本覚寺ホームページをご参照下さい。

第四世 加藤海正上人 略歴

大正9年8月3日、宮城県岩出山真山に於いて、父:加藤辰吉、母:なをの5男として誕生する。昭和15年青年学校本科を卒業し、昭和17年南京教導学校を卒業する。今次大戦に従軍し、偉功を立つ。中支に於いて決死隊隊長として突撃を敢行した際、足に重貫創をうけるも、一命をとりとめ故郷に帰る。怪我の為農業に従事出来ない状態であったところ、宿縁あって上京し、昭和21年8月4日、兄:松戸本覚寺加藤錬明上人に就いて得度する。昭和25年、海徳寺開山伊藤海徳上人養女、伊藤輝子と結婚する。

伊藤ちせ法尼の寺務を補佐するものの体調を崩し、喀血手術を行う。その結果、片肺を失うこととなり、5年間の闘病生活を続けるものの、昭和32年日蓮宗信行道場、日蓮宗霊断師の一級相伝を修了する。昭和35年海徳寺第四世の法燈を継承し、昭和42年松戸本覚寺代務住職となる。

海正上人の特筆すべき功績は、昭和45年より、日蓮聖人御降誕750年の記念事業として、本堂・会館・書院の新築を行ったことである。資金の乏しいなか、上人自ら杭を持ち、コンクリートを練り、檀信徒一丸となって工事に携わり、約5年の歳月をかけて海徳寺の寺観を一新する。

第五世 加藤雅章上人 略歴

第五世 加藤雅章
参考 日蓮宗 松戸 本覚寺本覚寺住職・副住職紹介
加藤雅章上人の略歴は、本覚寺ホームページをご参照下さい。

海徳寺第六世 加藤貴啓上人

海徳寺第6世加藤貴啓
海徳寺第6世 加藤貴啓上人
加藤貴啓上人略歴
  • 昭和23年5月28日 本覚寺開山加藤錬明の次男として誕生
  • 昭和36年 松戸市立北部小学校卒業
  • 昭和39年 松戸市立第六中学校卒業
  • 昭和42年 千葉県立国府台高校卒業
  • 昭和45年 城西大学理学部数学科卒業
  • 昭和45年より 中学校教師として千葉県内の中学校に奉職
  • 昭和51年 第2期信行道場終了
  • 昭和56年 日蓮宗霊断師
  • 平成5年 海徳寺第6世として入寺
  • 平成26年6月10日 遷化(世寿66歳)

海徳寺第七世(現灯) 加藤智章

住職からのご挨拶

日蓮宗習志野海徳寺住職
海徳寺住職
この度、海徳寺第7世の法燈を継承することとなりました加藤智章です。これまでは松戸市本覚寺の副住職をしておりましたが、叔父である海徳寺第6世加藤貴啓上人の付嘱を受け、習志野海徳寺に入寺することとなりました。 海徳寺には小学校の時(第四世加藤海正上人代)より、小坊主として様々な行事に出仕させていただきました。僧侶としての礎を築いたのがこの海徳寺であります。先師の志を継承し、檀信徒の方々と一緒にお題目をお唱えしてまいりたいと思います。
昭和58年海徳寺写真(海正代1)
昭和58年海徳寺行事
https://kaitokuji.net/wp-content/uploads/2014/09/DSC_5024-e1581923134514.jpg

上記の写真の最前列には、海徳寺の住職が四名写っております。

一番右:加藤貴啓上人(第六世)

中央:加藤海正上人(第四世)

中央左隣:加藤雅章上人(第五世)

一番左:加藤智章(第七世)

略歴(僧侶として)
  • 昭和59年得度・度牒
  • 平成12年第二期信行道場修了
  • 平成16年度日蓮宗大荒行堂初行成満
  • 平成22年度   〃   再行成満
  • 平成17、20、21、23、24、26年度日蓮宗大荒行堂事務所書記
  • 平成23〜26年度日蓮宗千葉県北部宗務所伝道担当事務局書記
  • 平成26年7月より習志野市津田沼海徳寺第7世住職
  • 平成30年11月より日蓮宗宗務院宗祖降誕800年PT員
略歴(学校関係)
  • 松戸市立上本郷第二小学校卒業
  • 松戸市立第六中学校卒業
  • 千葉県立東葛飾高校卒業
  • 京都大学農学部生物資源経済学科卒業
  • 京都大学大学院農学研究科修士課程修了
  • 京都大学大学院農学研究科博士課程修了(農学博士)
趣味(野球)
子供の頃から野球が好きで、大学まで野球部に所属しておりました。最近は野球をやることがほとんどなくなりましたが、いつか子供と一緒に野球が出来ればと思ってます。また、最近はまっていることは芝刈りです。
  • 小学校の時はソフトボールにて県大会優勝し、千葉県代表として高知県で開かれた第1回全日本小学校ソフトボール大会出場。
  • 中学3年の最後の夏の大会では、松戸市内大会優勝、千葉県大会優勝し、千葉県代表として水戸で行われた関東大会に出場。
  • 高校では硬式野球部に所属し、高校時代の最高成績は、3年春の県大会ブロック優勝し、千葉県大会ベスト32。
  • 大学時代は京都大学の硬式野球部に所属し、関西学生野球連盟の近畿大学、立命館大学、同志社大学、関西大学、関西学院大学と対戦していました。(大学時代の成績は、京都大学硬式野球部HP→ 卒業アルバム → 1999 → 加藤智で見ることができます。)
研究業績
  1. 加藤智章・吉田昌之(2003),「我が国紙・パルプ産業の計量分析」,『農林業問題研究』, 第39巻, 第1号, pp.178-183.
  2. 加藤智章・吉田昌之(2004),「製紙産業の費用構造分析-トランスログ型費用関数による計量分析-」,『農林業問題研究』, 第40巻, 第1号, pp.214-219.
  3. 加藤智章・吉田昌之(2004),「大規模紙・パルプ企業の生産行動に関する計量分析」,『林業経済』, 第57巻, 第7号, pp.1-16.
  4. 加藤智章・吉田昌之(2005), 「パルプ材需給の計量分析」, 『農林業問題研究』, 第41巻, 第1号, pp.94-99.
  5. 加藤智章(2008),「我が国紙市場の競争度の計測-推測的変動モデルによる実証分析-」,『林業経済』, 第61巻, 第7号, pp.1-16.
  6. Kato, Chisho(2008), “The Structure of the Japanese Wastepaper Market : Measuring the Degree of Oligopsony Power”, 『農林業問題研究』, 第44巻, 第1号, pp.1-13. (※本論文にて2009年地域農林経済学会誌賞を受賞いたしました。受賞履歴の一覧はこちらです。)
  7. 加藤智章(2009), 京都大学学位(博士)論文,「紙リサイクルシステムの計量経済学的研究」