ものの見方
100円玉は丸くみえますよね。では貯金箱の穴は? そう、四角です。100円玉を横から見ると四角だからです。100円玉は「丸」でもあり「四角」でもあります。
表題の文章は「私たちの心が物に飢えた餓鬼の状態だと水も火に見えてしまいますよ」いう喩えです。心の状態が安定していないと物事を偏った見方しかできなくなってしまうのです。
「正解依存症」という言葉があります。自分なりの「正解」を見つけると、それを疑うことができなくなり、他人にも自分の正解を押し付けて、自分なりの「正解」以外は受け付けることができない状態になることだそうです。
100円玉が「丸」でも「四角」でもあるように、日常生活のさまざまな出来事をいろいろな角度から見てみましょう。人それぞれの価値観や多様性を認める豊かな心が育まれます。
出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2023年8月号
弁護士をしている大学時代の友人が、最近話題となっている事件の国選弁護人をしています。事件から数年が経過し、ようやく先月初公判を迎えました。連日テレビでも報道されていますので、きっとあの事件ではと思う方もおられると思います。
裁判の争点は、刑事責任能力の有無です。弁護側は、妄想が犯行に影響を与え、心神喪失で責任能力がないと主張するのに対し、検察側は、犯行動機は筋違いの恨みであり、妄想に支配された犯行ではないと主張しています。
報道が正しいのであれば、自身の見解は、事件は被告の身勝手な犯行で決して許されるべきではないとなり、検察の主張に近い意見になります。
しかし、友人の弁護士は、自身の見解とは真逆で、被告を弁護する主張をしています。とんでもない悪徳弁護士だと非難するSNS上の書き込みがあったり、週刊誌には弁護士の彼を個人的に誹謗中傷する記事が掲載されていました。
以前彼からこんな話を聞いたことがあります。どんなに凶悪な犯罪を犯した人でも、一方的な先入観を持って悪いと決めつけてしまうことはとても危険だと。人が人を裁くには間違う可能性がある。だからこそ、少しでも弁護する余地があれば、十分に議論を尽くす必要があり、その上で刑罰が課せられなければならないと。今回の弁護もきっといつもの正義感から引き受けたのだろうと。
先日秋の彼岸が終わりました。「中道」という偏らないものの見方は、どの分野でも大切ですね。
海徳寺住職:加藤智章