令和6年3月 海徳寺 寺報

神鏡

鏡の前に立ったとします。あなたの顔、映っていますよね。でも不思議に思いませんか? 一番身近にありながら自分の顔は鏡を通さないと見ることができません。
同様に私たちの生き様自体も自分では見えているようで実は見えていません。私たちの姿がありのままに見えているのは仏さまのみです。その仏さまの目を「神鏡」というのです。
そんな私たちが「神鏡」に映った我が身を見る術は、素直な心で一心に仏さまに手を合わせる。この一点に尽きるのです。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2020年10月号

先日、調べ物をしていて、たまたま見たユーチューブに、「本物の鏡の見分け方」という短い動画がありました。鏡に本物も偽物もあるんかいな。と思い見てみると、「本物の鏡」は指で鏡に触れたとき、鏡に映った指先と指の間に距離があり触れることが無く、「偽物の鏡」は指で触れたとき、鏡に映った指先と指が接するそうです。
思わず「へぇー」とボタンを押しそうになりました。
 
よくよく調べてみると、鏡に映る自分の姿もそのままの姿で映っているのではなく、肌の色が違ったり大きさが違ったりするのだとか。
だからメイクをしたときになんか思ったのと違った。なんてことも起こるのだとか。

実は私たちが目で見えているものや色はそのままの姿や色で見えているわけではない。
幼いころにテレビか何かで見たような気がします。
そう考えると、目で見えているものが常に正しい。とは言えず、本質は目で見えないところにある。と言えるのではないでしょうか。

そういえば、サン・テグジュペリの著書「星の王子様」でも「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という言葉がでてきますね。
 
いつも鏡で見ている自分はどうでしょう。どんな自分が映っていますか。
どんな自分であれ素直に真面目に真剣に。自分の人生を歩んでいきたいものです。

正しいモノの見方とは。正しい人生の生き方とはなんだ。
それを映してくれるのが佛教という明鏡です。そしてその佛教の神鏡こそが「法華経」なのです。この本物の鏡が曇らないように、映っている自分を見失わないようにお題目をお唱えするのです。お題目にはそんな力があるのです。

令和6年3月 海徳寺 寺報