令和5年4月 海徳寺 寺報

孝養父母は第一にて候

孝養

「実に古くして新しき道は報恩のおしえなり 孝は百行のもとにして信への道の正門ぞ」という言葉があります。

昨今の風潮をみると「孝養」という言葉を耳にすることが少なくなった気がしませんか?

しかし親への報恩は、すなわち自分自身の命の尊さを省みることにもなります。そしてそれこそが信仰の出発点であり到達点でもあるのです。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2021年3月号

先日、スマホにてYou Tubeを見ていたところ、とある動画が目に止まりました。それは、北海道夕張高校の卒業式でのPTA会長の祝辞でした。

祝辞を述べているPTA会長の姿は、お坊さんぽい剃髪した頭。そして、その声もお坊さんぽいしゃがれた声。あれと思いさらに注意深く動画を見ると、このPTA会長さんとどこかでお会いしているなと。記憶を辿ってみると、この会長さんは日蓮宗の僧侶の方で、自身とは平成十二年に身延山での信行道場で一緒に修行しておりました。

その祝辞には、高校卒業というお祝いの言葉だけではなく、十八歳の成人を迎えた新社会人へ向けての教訓も含まれていました。八分程の祝辞の中で、特に感銘を受けたのが次の言葉です。

高校までは、勉強しなくても、遅刻しても、家に帰ればお腹いっぱいご飯を食べることができた。しかし、これからはそうではない。社会に出ると、勉強しない人、ズルをする人、約束を守らない人は、社会から信用されない。信用されないと、仕事を与えてもらえない。仕事を与えてもらえなければ、お金がもらえない。お金がもらえないと、ご飯を食べることができない。 

そう考えると、これまで当たり前のようにご飯を食べることができたのは、お父さんやお母さんが社会から信用されて、仕事を任されて、給料をもらえたからに他ならない。今日家に帰ったら、そんな両親に感謝して、腹いっぱいご飯を食べてくださいと。

飽食の時代となり、ご飯を食べれることが当たり前のようになりつつあります。しかし、ご飯を食べることができるのも、父母が一所懸命働いてくれたからです。これまで育ててくれた両親に対する感謝の気持ちが込み上げてくるそんな素敵な動画と巡り合うことができました。

海徳寺住職:加藤智章

令和5年4月 海徳寺 寺報

海徳寺寺報(令和5年4月)
報恩道語表紙(令和5年4月号)
海徳寺寺報(令和5年4月)
報恩道語表紙(令和5年4月号)