令和2年6月 海徳寺 寺報

異体同心事

成功の鍵は一致団結

「自分の我がままは当たり前、他人の我がままは許せない。いや、むしろ自分はいつも我慢している」と思いがちなのが私たちの常かも知れません。そんな姿を鏡に映した時、どのように見えるでしょうか。

こんな捨てがたい「我」を持った者同士、一息ついて相手を拝む気持ちで「我」を認め合ったなら、調和と発展の「大我」が生まれるのではないでしょうか。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

 新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言がようやく解除されました。なかなか先が見通せず、やきもきする日々を過ごしておりましたが、少し明るい兆しが見え始めた気がいたします。
 この自粛期間中にふと考えたことがあります。それは、不要不急の外出を控えるこの生活と、修行中の生活とがかなり似ているということです。修行中には様々な制約が課され、もちろん外出することも許されません。そんな制約下での修行生活も、最初は戸惑っていても、時間とともに慣れていくようになります。そんな修行中の生活をふと思い出しておりました。
 今回の自粛生活で一番影響があったのが子供達ではないでしょうか。学校に行って勉強し、友達と遊ぶという当たり前の生活が三ヶ月以上できなくなり、公園にも遊びに行くことができない日々でした。我が家ではゲームに対する依存が高まり、「我慢しなさい」という会話を何度となくいたしました。
 しかし、この「我慢」という言葉は、本来は「我に慢心を抱く」という仏教用語で、自分にうぬぼれておごり高ぶり、他人を軽んじることです。そのように考えると、子供に対して発していた「我慢」は誤用です。我慢、忍耐、辛抱、これらの言葉は似ておりますが、慢心を意味する「我慢」は、忍耐・辛抱とは意味が異なります。
 この先もしばらくは様々な制約下での生活を耐え忍ぶことが必要となり、心にも余裕がなくなることが懸念されます。そんな時であっても、自分にうぬぼれる「我慢」は避けたいものです。

(海徳寺住職・加藤智章)

令和2年6月 海徳寺 寺報

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