令和5年8月 海徳寺 寺報

亀鏡なければ我が面をみず

人間関係

あ~、なんだか仕事行きたくないなぁ~、学校行きたくないなぁ~、苦手なあの人の顔見たくないなぁ~。そんな思いを抱くことは誰でもあります。できればイヤな人、苦手な人からは距離をおきたいですよね。

でも人間はお互いかかわり合って生きる生き物なので、「お一人さま」「ぼっち」といわれる「孤独感」が一番心身に良くないのです。

ですので、こう考えてみてはどうですか? 自分と接する人はみんな自分自身を写してくれる鏡、時にはあなた自身の不得手な部分を写し出してくれることもあるのだと。

いろんな人と接することは「違う自分」「自分の長所・短所」などの再発見につながります。もしかすると自分が苦手としているその人は、大事なことを教えてくれているのかもしれません。あなたの周りにいる人は、良くも悪くも手本を示してくれる人なのです。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2023年7月号

つい先日のことです。夜道を歩いていると、目の前の階段に白い物体が。何かと思って目を凝らすと、それはセミが羽化する姿でした。子供の頃からセミの抜け殻を見ることはあっても、羽化する瞬間というのは初めてでした。透明だった羽が少しず色づき初め、少しづつ成虫の姿へと変化していきました。神秘的で美しい羽化の瞬間に立ち会うことができました。

スマホを片手にその様子をじっと観察すること二時間。そんなセミの姿から思い出したことが、仏教の「四有」の思想です。①生有(生まれる瞬間)、②本有(生まれてから死ぬまでの間)、③死有(死ぬ瞬間)、④中有(死んでから生まれ変わるまでの期間)と、人が生まれてから死に、さらに次の生をうけるまでを四つの期間に分ける考えです。

目の前のセミは「生有」の瞬間かと思いきや、卵から孵化した瞬間こそが生有のはず。そう考えると、今の状況は「本有」。また、この後突然飛んでいくのか、それとも突然ミンミンと泣き始めるのかな等、どうでも良いことを色々と考えました。

さらに寿命についても考えました。セミの寿命は短いことが知られていますが、では自分の寿命はあとどれくらいなのかと。もう余命がそんなにないのか、それともまだ折り返し地点付近なのかと。決して答えはでませんが、わからないからこそ後悔しないように日々過ごしたいなと。

今月は、初夏の夜中に「亀鏡」ならぬ「蝉鏡」を見て考えたことを綴りました。なお余談になりますが、虫よけしなかったことを大変後悔しています。 

海徳寺住職:加藤智章

令和5年8月 海徳寺 寺報

海徳寺寺報(令和5年8月号)
報恩道語表紙(令和5年8月号)
報恩道語表紙(令和5年8月号)
報恩道語裏面(令和5年8月号)