令和7年4月 海徳寺 寺報

心を広げよう

「凹むという字は器のようでしょ。気分が大きく凹むということはそれだけ人間としての器を大きくしていることなんだ。スポーツ選手は身体を鍛えて疲労と休息を繰り返し、筋肉を発達させるよね。大きく凹んでいる時は心が疲れて休息が必要な状態。心も身体も疲労と休息を繰り返し成長していくんだよ」

人と意見が合わず、落ち込んでモチベーションが下がっている時に、友人が励ましてくれた言葉です。

人生は思い通りにならないことの繰り返し。自分と違った意見や考えがあるのは当然です。互いに刺激し合い、さらに自分と向かい合うことで心の器は広がります。そして相手をそのなかに受け入れることで人は成長していくのです。さまざまな出会いを糧として心を広げ、互いを認め合う大きな心の器で安穏な世の中を築いていきましょう。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』2025年1月号

新年度になりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

新しい環境になる事が多いのがこの時期であろうと思います。その中で生きていくことは大変なことです。失敗することも多くあるでしょう。落ち込むこともあるでしょう。何もかもが嫌になる事もあるでしょう。しかし、それが生きていくということなのです。

今こうして法華経とお題目、南無妙法蓮華経に出会えたことは本当に有難いことです。お経やお題目を唱えるということは、ご先祖様や自分にとって大事な方の供養になると共に、自分自身の心と体を養います。

どんなにきれいな水でも、注ぐコップが汚れていては、汚れた水に見えてしまいます。また、それとは逆にどんなにきれいに磨いたコップでも、注いだ水が汚れていれば、汚れたコップに見えてしまいます。

私たち自身も同じことです。自分という器が汚れていては、せっかく出会えた有難い法華経、お題目であっても曇ってしまいます。有難いものを有難い姿で正しく受け持つ(うけたもつ)、受持(じゅじ)することが何よりも大事なのです。

法華経・お題目をお唱えすることは、自分という器を磨く作業とも言えます。せっかく出会えた有難いお経とお題目です。あとは自分という器をしっかりと磨くことなのです。綺麗な器に綺麗な水を。きっとその器から見える景色を、幸せというのかもしれません。

(海徳寺山務員・山田甲希)

令和7年1月 海徳寺 寺報