令和2年7月 海徳寺 寺報

令和2年7月海徳寺寺報

初一念

中国唐代の僧、玄奘三蔵は経典を求めて中国からインドへ17年間、20万里の旅をしました。そうしてもたらされた経典を求めて日本から荒波を越え、中国へ渡った人たちが大勢いました。

日蓮聖人は釈尊の真意をつかむためまさしく命を懸けられました。真理を求める人は常に命懸けです。

そんな求道者に共通する心は「できるか、できないか」ではなく「やるか、やらないか」の腹のくくりの有無だったのです。

何事も初めの志、すなわち「初一念」が最も重要なのです。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

今回の寺報を担当させていただきます山田甲希と申します。昨年より海徳寺様でお手伝いをさせていただいております。よろしくお願いいたします。

徐々に新型コロナウイルスにより自粛されていた生活も以前の生活に戻りつつあります。しかしながら、完全に新型コロナウイルスが根絶された訳ではありません。これからも私たち一人一人の行動を見直し、この感染症と共に生きていく新しい生活様式が必要になってきます。

私もそうですが、日々の生活や仕事において「慣れ」というものがあります。慣れてくることによって上手くいくこともあります。しかし慣れすぎてしまうと緊張感がなくなってしまったり、魔が差して手を抜いてしまったり。良くないことも起こります。僧侶として法事や葬儀をするにあたり、慣れすぎてはいけないといつも心に言い聞かせています。以前、私の父が言っていた言葉があります。「慣れてきてあまり緊張もしなくなり上手く立ち居振る舞いが出来ることは大事だ。しかしどんな時も、初めて修行をした時のこと、初めて法事をした時のことを思い出し、その時の気持ちを忘れてはいけない。僧侶を志した時の気持ちを忘れてはいけない。」と。ですから必ず仏祖三宝諸天善神の御前に正座する際は、初めて修行した場所である身延山を思い起こします。仏教用語で仏道を志したことを「初発心(しょほっしん)」と言います。初心忘るべからず。と言う言葉もありますが、自分の原点の気持ち「初発心」を忘れてはいけないですね。

新型コロナウイルスにより様々なことが変わりました。諸行無常の世の中です。そんな変わりゆく世の中だからこそ、信仰という生き方の原点を今一度思い起こし、これからの生活の中で再びしっかりと手を合わせ励んでいきたいものです。

そして新型コロナウイルスに対する措置も徐々に緩和されていく中でどこか少し慣れのようなものも生まれてきたように思います。今一度この感染症について把握し、一人一人の予防が自分を守るのみならず、大切な相手をも守ることにつながっていきます。

(海徳寺山務員・山田甲希)

令和2年7月 海徳寺 寺報

令和2年7月号海徳寺寺報
令和2年7月号海徳寺寺報
令和2年7月号海徳寺寺報
令和2年7月号海徳寺寺報