令和5年9月 海徳寺 寺報

地獄と仏とは我等が五尺の身の内に候

地獄も仏も心の内

自分の心を覗いた時、そこに地獄(悪しき心)が存在していたことに気付くのが信仰の原点ではないでしょうか。しかし、自分の悪を認めることは人にとってたやすいことではありません。

それに気付いたらば、日々、仏の前に額ずき己を謙虚に省みることです。その時、初めて仏の大いなる懐に抱かれ、生かされていた自分を発見することができるのです。それが信仰の喜びというものかも知れません。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』2017年2月号

先日、吉永みち子さんの講演を拝聴する機会がありました。
日本初の女性競馬新聞記者であり、ノンフィクション作家でもあります。
最近ではテレビのコメンテーターとしても活躍されております。
ご自身の人生を面白おかしくお話されていました。

幼少期に様々なことを経験された吉永さん。
なかでも小学生の時、夏休みに大阪の子供と「なんでやねん」という言葉に出会い救われたそうです。
嫌なことがあっても「なんでやねん」と言い、そこから子供ながらに変わることができたそうです。
言葉の力を感じたそうです。

最後に「老い」についてもお話がありました。
人生80歳とすれば折り返しが40歳。40歳までは上り坂、その先は下り坂でゴールが見えてくる。
だからゴールを意識する。限りがあると感じてくる。健康的に生きていくには筋肉も大事。
筋トレも大事だし心のトレーニングも大事だ。「筋トレ」と「心(しん)トレ」が重要と。

私はこの「心トレ」こそが信仰なのではないかと思います。今月はお彼岸です。
お彼岸はまさに仏道修行の期間です。
普段なかなかできない心のトレーニング「心トレ」にはうってつけの期間です。
普段より優しく、普段より自分を律し、普段より手を合わせみる。
お墓にお参りし「筋トレ」と「心トレ」をしてみてはどうでしょうか。

(海徳寺山務員・山田甲希)

令和5年9月 海徳寺 寺報