仏神の存在
「おかげさまで」「いただきます」「ありがたい」「ありがとう」。
このような言葉は、お世話になっている人たちに対して感謝や謙虚さを表現する美しい日本語です。もともとは仏神に対して使う仏教用語でした。
日本人は昔から、見えないものに対して畏敬の念を抱く気質を宿しています。しかし文明や科学が進歩するにつれて「仏神や先祖の霊なんて存在するわけがない」と手を合わせる人が減ってきています。
特に都市部では葬儀や法事などの仏事は簡素化されたり省略される傾向が強くなってきました。
しかし、仏神は必ずいらっしゃいます。心の底から信仰し、人としての正しい道を歩んでいるなら、必ずご守護や計らいを感じられるようになるでしょう。
目に見えないものが見えるようになりました。
こう聞いてあなたはどんな事を想像しましたか?
幽霊が見える?神様や佛様が見える?妖怪・妖精が見える?「目には見えないもの」それは沢山あります。
今年五月に岳父(義理の父)が亡くなりました。年齢的にも弱っていましたが突然の別れでした。病院に運ばれ集中治療室で横たわる岳父。医者から覚悟してくださいと告げられ妻と二人で泣きました。自分にできることをしようと思い一心に神仏へ祈りを捧げました。
祈りが通じたのか意識も回復し簡単な会話ができるようになり、最期を覚悟しながら色々なことを話しました。遠く離れた岳父の兄とも電話で話すことが出来ました。運ばれてから十日後、妻と二人、一緒に手を握りながら安らかに旅立ちました。誰にでも別れは必ず訪れます。悲しいものです。
しかしながら最後の十日間、別れの時間は神仏、法華経とお題目の祈りのお蔭です。通夜葬儀、四十九日忌埋葬を経て見えてきたものがあります。神仏のへ祈りの尊さと御守護はもちろん、岳父のご近所とのつながりや思い出、遠く離れた兄弟との絆、亡くなる最後につぶやいた「おっかあ」という令和三年に先立った妻への愛情。弔問に訪れた皆様から私の知らないたくさんのお話をお聞きしました。
この三カ月間は今まで見えていなかったもの、目に見えないものが沢山見えた期間でした。目には見えなくてもたしかにそこにある。目には見えないからこそ真面目に真剣に向き合わなければならないのです。そこに必ず救いはあるのです。
(海徳寺山務員・山田甲希)
令和7年7月 海徳寺 寺報


当日、住職の弟子である李 煥斉(り かんさい)上人が信行道場(しんぎょうどうじょう・僧侶の資格を得るための最初の修行)を終えた報告をしました。


