平成29年9月 海徳寺 寺報

我不愛身命(我身命を愛せず)

本抄は聖人の最重要御書の一つです。この書では本仏釈尊がお題目を末法にこそ弘めるべき教えとして説き遺されていたこと。そして何より弘める使命を担ったのが聖人自身であると明確に表明されています。さらに末弟にもその志を継ぐ使命があることを督励された書です。この一節の「心みよ」とは、その甚深なる使命感は私たち各自のたゆまぬお題目信仰の実践でしか深まらないことを強調されたお言葉なのです。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

先日放送されたニュースステーションで、落語家の桂歌丸さんの特集がありました。既に八十一歳となり数々の病を抱え、今年だけで四度も入退院を繰り返しています。それにも関わらず、酸素吸入器をしながら今だ高座に上がり続けています。

『何故高座に上がり続けるのですか?』 この特集ではその理由を追い続けていました。その中で、とても興味深い受け答えがありました。

  • 『落語の笑いを次の世代に残すこと、そんな未来を見つめて歌丸さんは再び高座に上がります。』 そんなナレーションの後に、次のような言葉が自身の心に深く突き刺さりました。
  • 「噺家」という職業を選んだその責任を果たさなければいけない。
  • 落語を残すのも落語家の責任。落語家のお客様を残すのも落語家の責任。
  • 「なんで今更そんなに苦労するのだ」とよく聞かれる。楽したいから苦労する。死んでから苦労するは嫌だ。死ぬまでは苦労する。

命を削りながら落語と向き合う日々を過ごす桂歌丸さんの姿を見て、『法華経勧持品第十三』に説かれる「我不愛身命 但惜無上道」(我身命を愛せず 但無上の道を惜しむ)という経文が頭によぎりました。仏法求道の為、法華経弘通の為に身命を惜しまないという経文ですが、落語であれ仏教であれ、後世に何かを伝えようとする歌丸さんの姿に深い感銘を覚えました。

(海徳寺住職・加藤智章)

平成29年9月 海徳寺 寺報