令和3年3月 海徳寺 寺報

本尊問答抄

宗祖ご降誕によせて

 日蓮宗と縁が深い水戸黄門には、ご自身のお誕生日にこんな逸話があります。家臣が祝いの日として豪勢な膳を用意したところそれを止め、白粥と梅干し一つにされました。その理由を「せめて今日一日を粗食とせしは、母上が我れを産みし折の苦しみを終生忘れぬためである」と語ったというこです。

 誕生日は祝福されるだけの日ではなく、両親をはじめ周囲の人びとへの報恩の日でもあることを忘れてはならないのです。

 さて表題のように日蓮聖人は現在の千葉県鴨川市小湊に漁師の子としてお生まれになりました。二月十六日には、聖人ご誕生800年を迎えます。しかしそのご生涯はご苦難の連続でした。それはなぜか。ひとえに自分をこの世に送り出し育んで下さった父母、そして縁ある人びとを成仏に導くため。それがご自身の誕生への報恩行だったのです。 

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

 令和三年二月十六日は、日蓮聖人がお生まれになって八〇〇年の大きな節目でした。私自身も三年程前より八百歳をお祝いするプロジェクトチームの一員としてのご縁を頂戴し、活動してきました。


 そのお祝いの一つとして、ファイナルファンタジーのイラストで著名な天野喜孝さんに『法華経画』の制作を依頼し、二月十二日には、その絵の記者発表会がありました。さらに有難いご縁を頂戴し、その記者会見にて私自身がオープニングのセンターの大役を仰せつかりました。報道関係が五十社程、タレントの麒麟・川島さんや壇蜜さんがいる中での導師でしたのでかなり緊張いたしましたが、無事に絵画をお披露目することができ、後日様々なメディアにて取り上げていただきました。


 ところで、今から百年前の御降誕七〇〇年の時に、祖父が「宗祖日蓮聖人御降誕七〇〇年」と題した字を身延駅前の看板に書いていたという写真が残されていました。百年後の御降誕九〇〇年の時には私自身はこの世にはおりませんが、百年後の未来にも、日蓮聖人の教えが広く伝わるよう、微力ながらも報恩の行を継続していきたいと思っております。

(海徳寺住職・加藤智章)

令和3年3月 海徳寺 寺報

令和3年3月海徳寺寺報 p1
天野喜孝法華経画
令和3年3月海徳寺寺報 p2
日蓮聖人御降誕800年記者会見
令和3年3月海徳寺寺報 p3
令和3年3月20日 彼岸会
令和3年3月海徳寺寺報 p4