平成29年7月 海徳寺 寺報

 

七面大天女(明神)

私たちは悪いこと、辛いことがあると歎き悲しみます。しかし、「艱難汝を玉とす」という言葉があるように、宝石も原石のままでは輝きません。身を削り磨かれてこそ、その魅力が、ようやく生まれてくるのです。
ですから、すぐには信じられませんが、苦難との出会いも、お導きなのです。そう信じる魂にこそ正しい力が宿るのです。そして、この力は安穏な社会を照らす光のエネルギーの源となっていきます。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

海徳寺では月例の行事として、一日の祈願祭と十九日の感謝祭を行っております。一日に盛運祈願祭を行っている日蓮宗寺院は散見されますが、十九日の感謝祭を行っている寺院はほとんどなく、海徳寺のみの行事と思っておりました。

しかし、よくよく考えてみると、何故十九日に感謝祭なのか疑問が生じてきました。例えば、中山法華経寺では毎月八のつく日(八・十八・二十八日)が鬼子母神の縁日ということで行事を行っております。また、実家の本覚寺ではお稲荷さんを古くから祀っているので、お稲荷さんの縁日である十五日を大切にしてきました。そのように考え、十九日は何の縁日であるかを調べてみると、『七面大天女(明神)』の縁日であることがわかりました

すると、実家にあった古い書類のことを思い出しました。それは、海徳寺を正式なお寺として設立する為の古い書類です。当初は『海徳寺』ではなく、『津田沼七面教会』という名称で設立申請がなされていたのです。しかし、七面教会という名称にも関わらず、海徳寺の本堂には『七面大天女(明神)』がどこにも見当たらず、何かの理由でどこかに行ってしまったのかなと思っておりました。

そのような疑問を抱きつつ六月十九日の感謝祭となりました。参加者の方々に先の疑問をお話したところ、お一人の方から、本堂横の霊牌堂が海徳寺で最も古いはずだという話になりました。その話を聞いてから、古い霊牌堂が気になって気になって仕方がありません。

そこで、早速霊牌堂に行き、霊牌堂内の古い厨子を調べてみました。普段そこに厨子があることには気がついてはいましたが、その一体には檀家さんから預かっただろう古い仏像が並べられており、厨子も檀家さんから預かったものであろうと思っていました。普段は施錠していましたが、ひょっとしたらという思いで鍵を開け、厨子の扉を開いてみると、なんと、七面大天女、さらに鬼子母神像が二体、現れたのです。

七面大天女の厨子左扉には、『大正十四年五月十九日 七面山九十五世日諦』、右扉には『感得主海徳日啓化道成辨者也』と記されており、この七面大天女は海徳寺開山の伊藤海徳上人が大切に祀ってこられたものであることがわかりました。『津田沼七面教会』のその名の由来である七面大天女に間違いありません。さらに二体の鬼子母神像の裏にも『大正十五年丙寅正中山大荒行第五行砌 鬼子母尊神 開眼 誠照院日祥 感得主 伊藤海徳 化道成辨者也』と書かれていました。

なぜ本堂脇の霊牌堂にこれら仏像が長く安置されていたのかは定かではありませんが、この日は七面大天女のご縁日。さらに、祖父が作成した海徳寺の設立申請書類を再確認したところ、海徳寺の前身『津田沼七面教会』が認可された日が、昭和二十五年六月十九日でした。偶然といえば偶然かもしれませんが、海徳寺が正式なお寺(教会)として認可をうけたまさにその日である六月十九日に、七面大天女が再度出現いたしました。

これら一連の出来事は、日蓮聖人、さらに伊藤海徳上人をはじめとする、海徳寺代々のお上人方から私自身へのお言葉であると解し、『天の御はからいとおぼすべし』という今月の聖語を選びました。

(海徳寺住職・加藤智章)

平成29年7月 海徳寺 寺報