令和8年9月 海徳寺 寺報

優しい気持ち

ホームに入る電車を駅員が待ち構えています。電車の扉が開くと、駅員は板を渡して車椅子の乗客の下車を補助しました。乗客は笑顔で「ありがとうございます」とお礼をいい、駅員も「どうぞお気をつけて」と笑顔で応えていました。
駅でよく見る1コマですが、小さな理想郷がそこに見えています。健常者も障がいを持つ人も等しく生活しやすい環境。知らない者同士でも感謝し、挨拶し、微笑み合う世界。殺伐としたニュースが溢れる世の中にも、ちゃんとこういう世界が創られており、その輪がもっと広がればと思いました。
宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」といいます。例えば自分が健康でも家族が病気ならどうでしょう? 社会でも同じです。みんなが優しい気持ちになり支え合うことが、みんなが幸せになる道です。

◎日蓮聖人ご遺文『開目抄』
流罪となった佐渡で著され、「我身の法華経の行者にあらざるか」と自身を問い、法華経行者を自覚された書。私たちが生きるべき真の方向性を示されます。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2024年7月号

まだまだ暑い日が続いておりますが、朝夕には少しずつ秋の気配を感じる季節となりました。九月といえば秋のお彼岸です。お彼岸は御先祖様や亡き方々に手を合わせ、自分自身の生き方を見つめ直す大切な時でもあります。
 先日、千葉県では猛烈な雨が降りました。近年は「今まで経験したことのない」という言葉を耳にすることが多くなったように思います。
もちろん自然災害には気象学的な原因があります。しかし僧侶という立場から考えた時、私はこうした自然の猛威を目の当たりにすると、どこか地球そのものから人間への警鐘のようにも感じることがあります。
便利さや豊かさばかりを追い求め、自然を自分たちの都合に合わせようとしてはいないでしょうか。そして目に見えるものばかりを大切にし、御先祖様や亡くなった方々の「魂」を敬う心まで忘れかけてはいないでしょうか。
 人間は一人で突然この世に現れたわけではありません。父母があり、その父母があり、数え切れない御先祖様から命を受け継いで今の自分があります。
 お彼岸には、ぜひお墓やお仏壇に手を合わせていただきたいと思います。そして亡き方を供養すると同時に、自分自身の生き方についても少し考えてみてください。
 人生には良い時も悪い時もあります。星の巡りによって原因を見つめ、九識霊断では自分だけでは気づきにくい問題を考えていきます。しかし大切なのは鑑定して終わることではありません。御祈祷や御供養、そして法華経の教えを通して、自分の心と生活をより良い方向へ変えていくことだと私は思います。
 何かうまくいかない、同じような悩みを繰り返している人は御先祖様の不満や不足があるかもしれない。自分では良かれと思うことが間違いであるかもしれない。そのような時には、一人で抱え込まず海徳寺へお越しください。一緒に考えてみましょう。一人一人が良くなることで社会全体に影響を及ぼしていくと信じております。
 この秋のお彼岸が、亡き方々の魂を敬い、そして私たち自身の生き方を振り返る御縁となれば幸いです。九拝

(海徳寺山務員・吉田安孝)

令和8年9月 海徳寺 寺報