令和7年5月 海徳寺 寺報

弟子のしらぬ事を教えたるが師

教えないことが教え

人生という道に迷った時に頼りになるのが、道しるべを示してくれる「師」の存在です。SNSなどで情報があふれ、現代人は何が本当なのか困惑してしまいがちです。経済的利益のみを追求し、時間に追われる人。人間関係に疲れ、生きる喜び・やりがい・目標を失っしまった人。私たちはみな苦しみや悩みを抱えて生きています。

人生に疲れ切って動けなくなる前に、周りの人に道を尋ねましょう。相談したり、助けを求めましょう。その人は年上の人であるとは限りません、あなたより若い人かもしれません。凝り固まった先入観を打ち破り、あなたの知らない考え方や進むべき方向を示してくれる人が「師」です。「師」とは人生観を共有する友でもある可能性もあります。人生は成長の旅。良き「師」との出会いがきっとあなたの人生を豊かにします。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2023年12月号

現在弟子の李煥斉が、身延山久遠寺での信行道場と呼ばれる三十五日間の修行に行っております。思い起こせば彼との出会いは三十年程前に遡ります。場所は私が学生時代に過ごした京都でした。関西に親戚がいない私にとって唯一頼ることができたのは、京都在住の彼のご家族でした。彼の祖父・松田永華上人が、私の祖父・加藤雲洞上人の一番弟子となります。長年海徳寺に来られている方は、写真を見ればきっと松田永華上人のお顔がわかると思います。

出会った当時は赤ちゃんだった煥斉が僧侶を志し、自身の弟子となるとは全くの想定外でした。僧侶になろうと決心するまでには、様々な葛藤があったことと思います。

では、この信行道場に入るまでの一年程の間に、師匠として彼に何かを教えてきたのかを自問自答すると、その答えは「何も教えていない」です。けれど遠回しに伝えてきたのは「世の中の不思議なご縁」と「自分で考えて行動しなさい」という二点です。

僧侶の仕事は何かといえば、法事、葬儀等でお経をあげ、故人を供養することがまず真っ先に頭に浮かぶと思います。しかし、法事や葬儀が毎日続くかといえばそうではなく、毎朝のお勤め、掃除等、時には極めて単調そして孤独であり、自分を律する強い意志が必要です。加えて決まった休みはなく、夜中であろうがいつ電話が鳴るかわからず、考え方によってはブラック企業かもしれません。

これまでのサラリーマンの生活を捨てて、敢えてブラックな僧侶の道を志したのには、きっと彼なりの理由があるのでしょう。何かの仏縁があっと感じたからこそこの道を選んだものと信じています。そして、この信行道場が終わり晴れて僧侶となってからも、私から何かを教えることはないでしょう。「教えないことが教え」という自身の真意が、いつか弟子に伝わればと切に願います。

海徳寺住職:加藤智章

令和7年5月 海徳寺 寺報

海徳寺寺報(令和7年5月号)
令和7年5月号 海徳寺寺報
海徳寺寺報(令和7年5月号)
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