平成31年4月 海徳寺 寺報

平成31年4月報恩道語

本当の心

月を見て美しく感じ、花を愛でて気持ちがなごむのは、私たちの心がそれらと呼応するからです。すなわち、私たちの心にはすでに月は美しいもの、花は愛らしいものと感じる清らかな心があるからです。

しかし、私たちは忙しい生活を送るうちに、知らず知らずなごやかさや穏やかさを失い、美しく清らかな心の存在を忘れてしまいます。

そんなとき、合掌すれば、あなたの心の奥にしまわれている月や花を呼び起こし、私たちがもつ本当の心を取り戻すことができるのです。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

春の訪れを知らせる桜の開花宣言が、各地から聞こえてきました。以前は、「桜の開花」→「お花見」→「宴会」という思考により、飲み会が増える季節という印象を強く持っておりました。しかしながら、最近では桜の花が咲いている風景を目にすると、右に引用した『今月の聖語』の通りに、自然と心が穏やかになります。

そんな時期を迎えてふと頭によぎった漢字が「咲」という漢字です。かつて師父が授与した戒名の中に「妙咲」という文字があり、「さく」という訓読みは知っていたものの、音読みの場合にはどう読むのかと疑問に思ったことがありました。

その際に調べてみて気がついたことが、「咲」という漢字は、「笑」と同じであり、ともに音読の場合には「ショウ」と読みます。共通して「わらう」という意味を持ち、かつて中国の詩人が「花がさく」ことを「花が笑う」と比喩的に表現しました。それを日本語に訓読する際に、花がさいた状態のことを現しているのだから、「花がわらう」よりも「花がさく」とした方が適切であると判断し、同じ語源を持つ「咲」を用い、そこから「さく」という訓読が誕生したそうです。

花が咲くことを「笑う」と表現することの方が、春のウキウキした気持ちがより伝わってくる感じがいたします。いずれにせよ桜の花を見ると心が和むのは、時代を超越して相通じるものです。  間もなく平成という時代が終わり、新元号となります。いつの時代であっても、多くの人々が笑っていられる世の中であってほしいものです。

(海徳寺住職・加藤智章)

平成31年4月 海徳寺 寺報