先祖供養を
人は皆、死にます。致死率は100パーセントです。あなたも大切な人を亡くしていると思います。私たちは日々、暮らしていくなかで家族や友人など、愛する人との死の別れが必ずやってきます。
出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2025年7月号
そういった人に「去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年もなりました。自然はそのように巡りくるというのに、どうして死んだあなたの命だけが消え去って元に戻ることがないのでしょうか。天も恨めしく、地も歎かわしいことです」と日蓮聖人は優しく寄り添われました。
仏教の教えは、死んで〝無〟になるのではなく、来世があると説きます。ご先祖さまだけでなくお釈迦さまの命も続いています。
塔婆を建てて供養して下さい。死者に追善供養ができるのは生きている私たちだけです。今、平和で幸せに暮らせるのは先に亡くなられた人たちのお陰です。その想いは必ずあの世へ届きます。
つい先日テレビを見ていたところ、とある女優さんの肩書が「俳優」となっていることに違和感を覚えました。男性の場合には「俳優」、女性の場合には「女優」という呼称だったはずが、いつの間にか男女問わずに「俳優」となっているようです。自身の大学時代には、助教授であったものが准教授、助手が助教へと変わっています。身近な職業でも、保母が保育士、看護婦が看護師等、職業の呼び方がかなり変化しているのだなと感じています。
翻ってお寺の世界でも男女で呼び方が異なることがあります。男性僧侶の場合には、「上人」という敬称を用いるのに対し、女性僧侶である尼さんでは「法尼」という敬称を用いることがあります。先述した一般社会の流れを踏まえると、僧侶の敬称も今後は男女統一したものになるかもしれません。
呼称が変化している背景には、ジェンダーレスや男女平等という思想が大きく影響していると思われます。しかしながら、最近のテレビ・新聞等の報道の傾向として、過度なまでにハラスメントの問題を意識し、誰に気を使っているのかわからなくなりつつあるように思います。
無茶苦茶だった昭和ときちっとしている令和という時代の見方もできれば、おおらかだった昭和とせちがない窮屈な令和というようにも捉えることもできます。いずれにせよ年月が経過すれば、あまりにも行き過ぎだったものは少しずつ元に戻るのでしょう。
お寺を取り巻く環境も、家族葬・墓じまい・散骨等、著しく変化しています。ですが、あまりにも急な変化で行き過ぎているような気もいたします。故人が生前海への散骨を希望していたが、残された家族はどこに手を合わせたら良いかわからなくなると、故人の意思に反し従来通りお墓に埋葬しているケースも何度もありました。
今月はお盆です。ご先祖様を自宅にお迎えするお盆の風習は昔から続いてきました。どれだけ時代が変わっても、故人を想う気持ちは変えずに大切にしていきたいものです。
海徳寺住職:加藤智章
令和7年8月 海徳寺 寺報



