令和元年9月 海徳寺 寺報

知恩報恩

あなたは生まれた時、産湯に1人でつかれましたか。誰もが必ず入るであろう棺桶。そのふたを自分で閉められますか。火葬場まで歩いて行けますか。

私たちは誰かのご厄介にならなければ生きることも死んでいくこともできないのです。

まず、足元を見つめましょう。 「恩」という字の姿をよくよく見て下さい。「恩」とは「因」に「心」を向けた時に気づくものなのです。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

つい先日のことです。戦争体験のドキュメンタリーを見ていた長男が、コマーシャル中に、

「戦争に行った人は皆死んでしまったのではないの?」

とポツリと呟きました。どうやら長男は戦争に行った人全てが戦死してしまい、生き残った人はいないと勘違いしていたようです。

すると妻から、

「出雲のひいおじいちゃんも戦争に行っていたけど、無事に帰ってこれた。お寺のひいおじちゃんも同じ。もしも、二人が戦争で死んでいたら、お母さんもお父さんも生まれてないから、あなたもこの世にはいないのよ。」

この会話を通じて長男は、それまで他人事のように思えていた戦争体験の映像が、より身近なものとして写っているように思えました。

今年もお盆の時期を迎え、各ご自宅での棚経にお伺いいたしました。位牌が沢山あるご自宅もあれば、一つだけのご自宅もございます。しかし、位牌の数に関わらず、数多くの先祖達の「いのちのリレー」があるからこそ、今の私達が存在します。何気ない会話ではありましたが、この会話をきっかけに、ご先祖に対する感謝の気持ちを、次世代の子供達にも気づいてほしいと思った夏でした。

(海徳寺住職・加藤智章)

令和元年9月 海徳寺 寺報