令和2年4月 海徳寺 寺報

病によりて道心はおこり候か

知恩報恩

「苦しい時の神頼み」とよくいいます。人間はそれほど強い生き物ではありません。日頃手を合わさない人でも病気になったり大きな困難に遭遇した時、神仏にすがりたくなります。これは自然の情ともいえるでしょう。

人智を超えた大いなる存在に頭を垂れ祈りを捧げる。ここに信仰との出会いがあるのではないでしょうか。

そう受け取るなら苦しみも神仏の慈悲の現れといえるかもしれません。

ただ大切なのは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」重々用心しなければならない凡夫の性です。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

現在、新型コロナウイルスが猛威をふるい、感染者が日々増加の一途をたどっています。

振り返ってみると、一月に中国の武漢において大流行しているとの報道がありました。その後、二月にはダイヤモンド・プリンセス号での感染者が多数確認されたものの、船内での水際対策によって国内への影響は少ないだろうと思っていました。しかし、三月には全国各地で感染者の報告がなされ、東京オリンピックが延期することとなりました。少し前まではまさかこのような事態になるとは全く思いもせず、いつまでこのような先行き不透明な状況が続くのかとやきもきする毎日です。


そんな時にふと思い出した日蓮聖人のお言葉が、「病によりて道心はおこり候か」です。日々健康で何事もなく過ごしている時には、健康であることの有難さにはあまり気がつきません。しかし、いざ病気になってみると、これまで当たり前のように思っていたことが、実は有難いと気づくことが誰しもあるのではないでしょうか。

少し前までは店頭に当たり前に置いてあったマスクがなくなってからしばらく経過しました。今はただこの状況が早く解消されることを祈るばかりですが、通常の生活に戻った時にこそ、当たり前のことが実はそうではないという感謝の気持ち再確認すべきでしょう。

(海徳寺住職・加藤智章)

令和2年4月 海徳寺 寺報

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