令和3年6月 海徳寺 寺報

仏法を心みよ

仏法を心みよ

法華経『如来寿量品』に「汝取って服すべし」という教えがあります。自らが手を伸ばして自分の口に入れることで本当の味をかみ締められるというのです。それがたとえ苦くとも、どこまでも食らいつくことで真味が分かるのです。そしてその覚悟が最重要だと説いています。

日蓮聖人の教えの根幹はここにあります。その叫びが「仏法を心みよ」なのです。

「他人の解説を聞いて分かった気になるな。自分で試しなさい」これがこのお言葉の根底にあるのです。 

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

春のお彼岸の頃には、「コロナもあともう少しの辛抱」と思っていました。しかしながら状況はなかなか好転せず、東京や大阪での緊急事態宣言はさらなる延長が見込まれています。

このような状況で、ふと思い出したことがあります。それは初めての荒行時に伝師(=先生)から教わった次の二つの言葉です。


 「百日間の修行が始まった今は、まだまだ先が長いと思っているだろう。しかし、二月十日を迎えれば荒行は終わる。たかだか百日間だ。では、戦時中の人々はどうだった。食べ物が乏しく、明日にでも命を落とすかもしれない状況で、いつ戦争が終わるかなんて誰もわからない。終わりが見えない状況の方が本当に大変だ。

 「本当の修行とは、決められたことを欠かさず行うこと。例えば、線香一本を仏壇にあげることは簡単なように思えるが、それを毎日欠かさず行うことは実は意外に難しい。君たちの本当の修行とは、この百日間ではなく、これからの日常の行いにある。」


 先日法要をされた方に、まさにこの言葉通りに修行を実践されている方がいました。若くして御主人を亡くされ、その時に、「毎月の月命日には、必ず墓参りをする」と決心したそうです。よくお参りされているなと思ってお姿を拝していましたが、その時に決めたことを毎月欠かさずに行い、気がつけば二十数年間続けてこられました。


 今月選んだ聖語は「仏法を心みよ」です。心を見ることは難しいですが、コロナ禍だからこそ、何かを決めて、何かを試みてはいかがでしょうか。

(海徳寺住職・加藤智章)

令和3年6月 海徳寺 寺報

海徳寺寺報