令和8年4月 海徳寺寺報

陰ながら徳を積む

この言葉は日蓮聖人のご遺文に示されていますが、元は中国に古くから伝わる言葉で、「陰ながらに徳を積めば、良い報いがある」という意味です。

もともと陰ながらに徳行を積む人は、その文字通り〝陰ながら〟ですので、陽報は望んでないかもしれません。また目立たなくても仕事・家事に関わらず、誰かのために少しでも役立つことをしているならば、それは陰徳といえるでしょう。

実際にその結果が目に見える形で自分に返ってきているのかわからないこともあります。
でも、もし何かすることによって誰かの平安な顔や無事を想像することができるならば、それは立派な陽報であり、あなたの陰徳です。

また困難ななかにあっても陰徳を積み続けるのなら、必ず道は開けることでしょう。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2026年3月号

ひいお爺さんのお名前言えますか?では、ひいお婆さんは?
突然の質問で失礼いたしました。でもどうでしょう。 
皆さんパッと答えられましたか?

私はひいお爺さんは答えられましたが、ひいお婆さんは答えられませんでした。
大変申し訳なく思います。

今年の二月に実家のお寺の大祭があり秋田に数日帰りました。
その際に山田家の過去帳を拝見しました。
そこで改めて自分の曽祖父母について考えました。実はあまり知らなかったなと。
祖父母について知っている方は多くても曽祖父母について知っている方は少ないのではないでしょか。

過去帳には曽祖父母、その兄弟や子供たちが記されていました。
漠然と「先祖」と捉えていましたが、
その中には大勢の方々がいて、一人一人名前があり、命日があり、戒名があり、
会ったことは無くても実際に生きていたんだと改めて実感し、
今まで以上にご先祖の皆様と自分の「いのち」の繋がりを感じました。

ご先祖様方や縁のある方々の頑張りと想い、
そしてなによりも大勢の方々の信仰があって今のお寺、今の私があり、
その上に私は生かされているのです。
みんな「いのち」で繋がっています。
私の頑張りがきっと誰かの喜びに繋がるのです。

ご先祖様を大切に供養するからこそ、この「いのち」の繋がりが分かるのです。
今年のお彼岸は、先祖代々と回向するとともに一人一人の戒名を読み上げ、
有難いご縁をいただいた「いのち」に合掌をしたお彼岸となりました。

(海徳寺山務員・山田甲希)

令和8年4月 海徳寺寺報