関わり合い
あ~、なんだか仕事行きたくないなぁ~、学校行きたくないなぁ~、苦手なあの人の顔見たくないなぁ~。そんな思いを抱くことは誰でもあります。
できればイヤな人、苦手な人からは距離をおきたいですよね。でも人間はお互いかかわり合って生きる生き物なので、「お1人さま」「ぼっち」といわれる「孤独感」が一番心身に良くないのです。ですので、こう考えてみてはどうですか? 自分と接する人はみんな自分自身を写してくれる鏡、時にはあなた自身の不得手な部分を写し出してくれることもあるのだと。いろんな人と接することは「違う自分」「自分の長所・短所」などの再発見につながります。もしかすると自分が苦手としているその人は、大事なことを教えてくれているのかもしれません。あなたの周りにいる人は、良くも悪くも手本を示してくれる人なのです。
みなさんこんにちは。六月に入り早いもので今年も半年が過ぎようとしております。寒い季節が過ぎ去りじめじめとした季節になってまいります。これが過ぎると暑い季節です。毎年時間だけは過ぎて、今年はどれだけ暑いんだろうか?とか考え始めます。地球という規模で考えると我々の人生はあっという間なんだろうなあ。とか色々と考えるのが好きで考えることがあります。
前に預言者は地球の声を聴けるものだ者だというのを聞いたことがあります。預言者ではなくても、農業をしている人、特に自然を相手に仕事、暮しをしている人たちは地球(自然)の声を聴ける人、または自然に対して畏敬の念とか、耳を積極的に傾けられる人なのだとも思います。
私はどちらかと言うと今までは自然とか草花とかに無頓着な方でございました。年を取って自分の体が若い時とは違うなと思ってから、自分の体の事を注意深く観察し、その延長で自然の事にも目が向くようになりました。法華経暦や御祈祷等というものはその延長上にあるとも確信してきました。人の幸せは自然と共に成り立っているとも思います。不自然である事、無理する事、または自分を偽る事、全てが「負」に働き自分自身及び周りも巻き込んで不幸になるのではないかと思います。しかし、そのような状態の時は自分では気が付きにくいのも事実です。いつも自分自身を見つめることが出来ればよいのですが「負のスパイラル」に入っている時は、所謂自分の事も周りも見えなくなっている状態です。そんな時に少しでもおかしいと思った時は自分の周りの人に素直に聞いてみることが肝要かと思います。お釈迦様は皆が大切なことに気が付くのずっと待ってます。海徳寺はそんな人々の手助けになるお寺だとも思っています。九 拝
(海徳寺山務員・吉田安孝)
令和8年6月 海徳寺 寺報



