自分には見える花を
草はU字溝のわずかなすき間からも元気に芽を出します。
この草にとって生きる場所はこのすき間で、場所を移すわけにはいきません。まさにこの場所で一所懸命に生きているのです。
でも人間の場合は、どうしようもなく辛かったら、逃げたっていいんです。1つの場所で生きることを「一所懸命」といい、それも1つの生き方ですが、何がなんでもそこで頑張らなくてもいいんです。今生きているこの広い世界こそ私たちが幸せになれる所だからです。取り巻く環境によってはうまくいかなかったり、思い通りにいかないこともあるでしょう。それを乗り越えてその場所にとどまる人もいれば、違う場所で再起を目指す人もいます。どちらも同じです。人間は生きるだけで十分頑張っているのですから。出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』
それぞれの生きる場所で、他人には見えなくても自分には見える花を咲かせてください。
先月、母方の祖母が亡くなりました。百二歳でした。
私の母は群馬の一般の家庭から秋田のお寺に嫁ぎ、お寺の奥さんとして何十年も一所懸命に神仏に父と二人でお給仕しています。その背中をずっと見てきました。
別れとは悲しいものですが、通夜、葬儀と母の兄弟や親族と会うことができました。
沖縄に嫁いだ私の姉にも会えました。縁をいただき、これだけ沢山の方々との繋がりがあるんだなと感じました。
そこで親族が話すおばあちゃんの事は私の知らないことばかりでした。祖母の姿が目に浮かびます。働き者で穏やかで可愛らしくて優しかったなぁ。
その数日後に実家のお寺の総代さんが亡くなり葬儀がありました。親戚のおじちゃんです。
幼少期より大変お世話になりました。初めてお盆のお経をあげさせていただいたのもおじちゃんのお宅です。
慣れ親しんだおじちゃんの自宅での通夜。沢山の思い出があふれます。お寺と住職である父、そして兄と私を一所懸命に支えてくれました。
ここでも沢山の親族が集まりました。皆で故人を送ってあげることは大切なことです。
祖母とおじちゃん、たくさんの事を教えていただき、たくさんの想いをいただきました。
その心は私の中にしっかりと生きています。私が頑張れる原動力です。
長い間、いままでありがとうございました。私も精一杯、一所懸命に僧侶としての道を生きていきます。