これでいいのだ!
今月の法話は、3月21日の春分の日に海徳寺に行われた彼岸会法要でお話したことを加筆しながら文章としてしたためました。
バカボン=悟れる者
薄伽梵
赤塚不二夫さんの漫画「天才バカボン」は老若男女問わず誰でも知っているのではないでしょうか?
私自身も子供の頃にテレビで見ていた記憶があります。実際には再放送されたものを見ていたようですが、数年前には実写化されたものが放送されていました。
登場人物のバカボンのイメージから、バカボンとは「馬鹿な坊や」のようなところから命名したのではないかと勝手に思っていました。
しかし、そうではなかったのです。「バカボン」を漢字で書くと、「薄伽梵」となります。「薄伽梵」とはサンスクリット語のBhagavad(ヴァガバッド)を漢字表記したものであり、そもそもの語源は、「悟れる者」という意味で、世の中から尊ばれる人のことを指す言葉となります。
作者の赤塚不二夫さんは、そのことを踏まえた上で、日本語のもつ「馬鹿」とのギャップを狙い、主人公を「バカボン」と命名したといわれています。
はじめちゃん=中村元
はじめちゃん
加えて、バカボン以外の登場人物にも仏教由来のエピソードがいくつかあります。
バカボンの弟「はじめちゃん」も仏教に深く関係しています。
はじめちゃんはバカボン家の知恵袋で、タイムマシーンを作り、ピタゴラスの定義、ケプラーの法則をスラスラ解説する天才的な赤ちゃんです。
このはじめちゃんの名前は、東京大学名誉教授の中村元さんに由来いたします。中村元さんは、インド思想と仏教学の世界的権威であり、日本において比較思想という新しい学問分野の開拓者です。中村元さんが訳された『ブッダのことば』という本は、仏教関連の書籍に頻繁に参照されており、仏教を学んでいる人であれば知らない人はいないほど著名な方です。
レレレのおじさん=チューラパンタカ(周利槃特)
レレレのおじさんのモデルは、お釈迦様のお弟子さんであるチューラパンタカです。チューラパンタカは、漢字では周利槃特(しゅりはんどく)と書きます。
チューラパンタカは、自分の名前を忘れるほど物覚えが悪い人物でした。そこでお釈迦様は自分の名前を名札に書かせ、首から名札をかけさせましたが、名札をかけたことさえも忘れてしまいます。それほどまでに、チューラパンタカは出来が悪いお弟子さんでした。
チューラパンタカには聡明な兄がいましたが、弟の状況をみかねて、兄はチューラパンタカを故郷へ帰すように諭しました。
しかし、お釈迦様はチューラパンタカに手を差し伸べ、「チューラパンタカよ。得意なものは何だ?」と問いかけます。すると、チューラパンタカは「掃除が得意です」と答えます。そして、お釈迦様はチューラパンタカに一本の箒を渡し、「塵を払わん 垢を除かん」と唱え掃除をしなさいと指示します。
チューラパンタカはお釈迦様の指示通り、その言葉を唱えながら来る日も来る日も掃除を続けます。
そのような日々が一年、二年、数十年と経った時にあることに気が付きます。それは、お釈迦様が言っていた塵や垢は、自身の心の中にある執着だということに。そして、誰よりも愚かだったチューラパンタカはとうとう悟りを開くこととなります。
余談ですが、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという話がありますが、一節には物忘れがひどかったチューラパンタカの名札に由来しているそうです。チューラパンタカの死後、その墓には見慣れない草が生えていました。「自分の名を荷なって苦労した」ことから、この草を「茗荷」というようになったという話です。
以上がレレレのおじさんのモデルになったチューラパンタカの逸話となります。天才バカボンには、お釈迦様のお弟子さんがモデルになっていることに、改めて赤塚不二夫さんの仏教に対する造詣の深さを感じます。
これでいいのだ
さらに、バカボンのパパの「これでいいのだ」という言葉にも興味深いエピソードが隠されています。
それは、この短い言葉には、お釈迦様の悟りの境地が表されているという話です。
世の中には自分が思うようにならないことが多々あります。それこそが仏教でいうところの「苦」です。苦とは通常「苦しい」と考えがちですが、「思うようにならない」=「苦」となります。「これでいいのだ」という言葉には、一切皆苦であるこの世を肯定し、起こったことを前向きに解釈する姿勢があるのです。
最後に、赤塚不二夫さんの葬儀の際に、タモリさんが述べた弔事の一節も左頁に掲載いたしました。
その葬儀の様子は、ワイドショーなどでも取り上げられていました。何も書かれていない白紙の紙を手にして、「私もあなたの数多くの作品のひとつです」という弔事の言葉はとても印象深いものでした。そのなかにも「これでいいのだ」という言葉が引用されております。
ところで、赤塚不二夫さんは、数多くの著名な漫画家達が暮らしていたときわ荘の住人で、その部屋の前の住人は、漫画「ブッダ」を描いた手塚治虫さんだったそうです。
漫画「ブッダ」が正面からお釈迦様の生涯を描いた仏教ストーリーであるのに対し、漫画「天才バカボン」に仏教的な背景があることに気づいている方はほとんどいないのではないでしょうか。しかし、先述の背景を知ると、左頁に掲載したバカボンのパパの言葉の意味がより深いものになるはずです。
今月の聖語として、「人の智はあさく 仏教はふかくなる」という日蓮聖人の言葉を取り上げました。赤塚不二夫さんの「天才バカボン」という漫画を通じて、自身の智の浅さを知るとともに、仏教の教えがとても深いものであることを実感したことが聖語として取り上げた理由となります。
現実には様々な困難に直面いたします。しかし、どんな困難があっても、「これでいいのだ」と口ずさむことで、気持ちが楽になるのではないでしょうか。