令和3年1月 海徳寺 寺報

令和3年1月 海徳寺 寺報

小と大の相関

大海の一滴となればごくごく微量。あるかなきかすら知れぬほどである。存在感もわかぬから、まして存在意義はないかのようである。

けれども、そのような存在も意義も乏しい巨海の一滴であっても、その一しずくのより集まりが凝(こ)ってついに成したのが大海である。つまるところ、微小の一滴なくては大海たり得ないのである。

かくして極微が極大をなりたたせているのであるから、微量な一滴の存在の意義と価値は途方もなく巨大であるといわねばなるまい。「衆流あつまりて大海となる」のだから、「一塵積りて須彌山となる」のは当然である。

こうして我等、非力を嘆き無力をかこつこと全くなし。巨木の幹を穿つ小鳥がいる。雨垂れもいつしか石に穴をあける。要すれば精勤(せいごん)あるのみ。なせば成り、なさねば成らぬのである。云く。「為す者は常に成り、行う者は常に至る」。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

新しい年が始まりました。昨年は自然災害や新型コロナウイルスの影響により、あたりまえにあった日常が「あたりまえ」では無いと気づかされ、なかなか思うように事を運べない日々が続きました。今まで通りの事ができない日々です。令和3年となった今も考えさせられる毎日で自分の非力さや無力さを痛感しました。

人とも会えず、出来ないことも多い。しかし、視点を変えてみましょう。
今自分が置かれている状況、環境はどうでしょうか。今そこにいる人、そこにある物に目を向け感謝しましょう。実は気づかないだけで本当は有難いものです。

一人で百歩進むよりも百人で一歩進むことのほうが大切である。と何かで聞きました。環境問題や新型コロナウイルス等の問題がありますが、どんなことでも最初の一歩が始まりです。その歩幅は人それぞれです。どんなに小さな行動でもそれを続ける事が大切です。続けることが力となり、その一歩の積み重ねがやがて大きな成果に繋がります。

さあ令和3年です。全てに感謝し自分の小さな一歩を歩き出しましょう。歩き出さなければ前には進めません。必ず神仏と南無妙法蓮華経のお題目が後押ししてくれます。本年も皆様にとって幸多き年となりますよう、ご祈念申し上げます。

(海徳寺山務員・山田甲希)

令和3年1月 海徳寺寺報


令和3年1月 海徳寺 寺報
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