令和2年12月 海徳寺 寺報

おとこのしわざは女のちからなり

夫婦円満の秘訣

身延山から富木常忍の妻に与えられたお手紙です。

常忍氏が亡き母の遺骨を身延に納骨した折に託されました。妻が生前母によく仕えてくれたと深く感謝する夫の思いを受けて書かれました。

女性が軽視される時代にあって聖人は常に女性の力の偉大さを称賛されています。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

(海徳寺住職・加藤智章)

日毎に寒さが厳しくなり、季節はもうすっかり秋から冬へと。そんな中、ふと興味深い話を耳にしました。


それは、「女心と秋の空」にまつわるエピソードです。これは、女性の恋心が秋の空模様と同様に変わりやすいことの例えですが、かつては「男心と秋の空」だったそうです。それが、いつしか「男」と「女」が入れ替わってしまい、「女心と秋の空」へと変化したという話です。

そこで、この慣用句の変化について調べてみると、江戸時代頃までは「男心と秋の空」が使われていたようです。当時は男尊女卑が色濃く残っていた時代。そのような時代背景を反映していたものと思われます。しかし、大正時代頃から女性の地位が向上するにつれて、この慣用句にも変化が見られ、「男心」から「女心」へと言葉が入れ替わっていたようです。

この言葉の変化を知り、法華経で説かれる「女人成仏」の教えを思い出しました。法華経が説かれた時代は、カースト制度下のまさに男尊女卑が根強い時代でした。そんな時代背景を踏まえると、「女人成仏」という教えは、極めて画期的なことだったでしょう。

令和の現在は男女平等の時代。ややもすると、男性よりも女性の方がたくましく、「男心」から「女心」という言葉の入れ替わりは自然なのかもしれません。我が家の夫婦関係に照らし合わせてみても、このところ私の方が劣勢になりつつあるかもしれませんが、宗祖のこのお言葉のように、妻に対する感謝の念をいつまでも忘れてはいけないと思った令和二年の師走です。

令和2年12月 海徳寺 寺報

令和2年12月海徳寺寺報
令和2年12月海徳寺寺報
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