令和8年3月 海徳寺 寺報

大切なもの

「生まれて来なければよかった…」。「どうせ死ぬのに何で生きなきゃならないんだろう?」。生きていくということは大変です。時に私たちは生きる目的を見失います。そんな時どうしたらいいのでしょうか?
悩んでいるのはあなただけではありません。深呼吸をして、空を見上げましょう。自然に身をゆだね草花のいのちを感じ、虫の声に耳を傾けましょう。気持ちが楽になる人に会いに行きましょう。みんな精一杯生きています。生きる力が湧いてくるのをゆっくり待ちましょう。
生死の悩みは永遠の課題です。お釈迦さまは「いのち」を、三世(過去・現在・未来)に生きる永遠のものとします。人の行動や言葉は誰かとの「つながり(縁)」となって永遠にあなたの「いのち」として生きることになるのです。私たちは素晴らしいことで悩んでいるのです。今日も素晴らしい1日を生き切りましょう!

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2023年9月号

こんにちは。
いつもの事ですが令和8年が始まりあっという間に春になり彼岸が来てしまいました。この文章を書いた日は、丁度北国の春の気候を思い出しながら書いていました。「ところ変われば品変わる」ではないですが、場所によって季節感が変わり雰囲気も随分変わってきます。これは自然の摂理というか風土の問題だとも思います。

「変化・不変」という言葉を想いました。
「不変」のモノは「真理」と言います。我々の言葉や心は変わりますが、お釈迦様の教えは変わりません。これが「お経」であり「教え」であり「真理」というものです。変わらないことをずっと信じながら教えを守り日々暮らせばよいのではとも思います。
なかなか難しいですがなるべく自分の出来ることからコツコツしていくのが良いと思います。朝起きたら、仏壇のある人は仏様に挨拶をする、仏壇が無ければお日様に向かって、夜はお月さま、特定の星などに思いを馳せるのも良いでしょう。
それが出来れば次は違う試みでもよいと思います。仏壇であれば線香、お花、お水、お茶、ご飯等でもよいと思います。このようなことを諦めることなくずっと続けることで各々に気づきがあるのではないかと私は信じています。

お釈迦様は直接手を出して何か守ってくれるのではなく各々個人が気が付くのを待っていてくれているのです。その気づきが個人の幸せ世の平和に繋がると思います。

九拝

(海徳寺山務員・吉田安孝)

令和8年3月 海徳寺 寺報

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