令和6年6月 海徳寺 寺報

気づき

人間は生きていれば、生老病死の四苦から逃れることはできません。しかしあきらめる事はありません。法華経・お題目という良薬があるからです。この良薬は、薬そのものに処方箋も記してある不思議な薬です。病気が重ければ重いほど力を発揮する良薬です。人間は肉体的にも精神的にも病気になる可能性があります。しかし治癒させる力も同時に備えています。不思議なことに、善悪を同じように持っているのです。その善なる力の基が、法華経・お題目の良薬です。健康なときにこの良薬を飲めば、健康の促進に力を発揮します。
しかし薬は、飲まなければ効果がありません。「良薬を飲む」とはお題目を唱えて信心を深めるという事です。人間の無限の可能性を、遙かに伸ばしていくのが、法華経・お題目の信心なのです。

出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2011年5月号

初めまして。この五月より海徳寺にお世話になってます吉田安孝と言います。皆さまよろしくお願いいたします。
出身は青森県青森市で、御住職とは私が最初の荒行という修行に行ってからのご縁でございます。

私はこのご遺文を読むと法華経譬喩品の三車火宅の教えを思い出します。

我々は人界に生まれて自分が家事の家の中にいるのに気が付きいていません。

しかしながら、人生の一大事において、例えば大切な人の死、例えば病気、はたまたものすごい苦労をした時にやっと大切な事に気が付きます。

そして一つそれを経験した時に一段階段を登る様に人は成長するのだと思います。

その成長の為のツールが法華経、南無妙法蓮華経のお題目だと思います。お釈迦様は、我々が困難に直面した時の為に教えを遺して下さいました。

我々は、それが平常時には気が付かず苦しみの中にようやく見出します。そして次に苦しい人を教え導くのが菩薩道だと気が付きます。

稀なこの事を日々続けて行くことこそ修行であり人生の目的であるのかな⁉️とこの文章を書きながら、また一つ思い起こす次第でございます。

海徳寺山務員 吉田安孝

令和6年6月 海徳寺 寺報

令和6年6月 海徳寺寺報
令和6年6月 海徳寺寺報